2015年01月02日

故郷の行事:年男・朝湯


 お正月は一年の中で最大のお祭りであった。菜園おじさんが子供時代(1948〜60年)を過した群馬県沼田市の農家の正月風景を記す。

 当時の農家は、茶の間にお正月様を祭る「吊るし棚」をつくり松やお札、鏡餅、昆布、イワシ、鮭、ミカン、生柿、干し柿などを吊るした。

 入口に大きな門松を立て母屋の各部屋や台所、カマド、トイレ、土蔵、蚕小屋、馬小屋、水車、お墓、里山の祠などにも松や注連縄を飾った。松や注連縄の数も多かった。

 正月は長男が年男となり朝湯に入ってから、正月様や門松お雑煮を供えた。次男坊の菜園おじさんは、年男の兄の後ろについて手伝ったものである。

 部落で行われていた年男の朝湯について記す。当時、井戸を持っている農家は半数位で、風呂のない農家もあった。井戸のない農家は小川の水を使用していた。

 16歳から25歳の年男は、正月三元日は決められた家に集まり身を清めてから正月様に仕えた。菜園おじさんの実家は2日が当番であった。

 母親は年男のおやつとしてキンピラゴボウ、オカラ、白菜・たくあん漬けを用意し早目に就寝する。夜になると年男達が続々と集まってくる。

 囲炉裏や炬燵にあたりながら世間話に花を咲かせる。当時の年男は農業や林業に従事し、青年団や消防団員に所属し共通の話題が多かった。

 24時を過ぎると疲れている年男は居眠りを始める。すると鼻元に口からタバコの煙を噴きだし、叩き起こす悪戯などをしていた。

 そして大きな木製の桶に釜を取り付けた風呂に火を点ける。燃料は火力の強い楢の薪をどんどんくべる。身体は大きな木製のタライに板を敷きその上で洗った。

 入浴は一人ずつ順番に行う。中には悪い年男がいて、お湯が熱くても薪をくべて出てくる。次の年男がパンツ1枚となって風呂に入ろうとすると熱くて入れない。

 裸で裏にある井戸に行って水を汲んできて薄めてからお湯に入る。仕返しにまた薪をくべて熱くしてから出てくる。そんなことがあっても喧嘩にはならない。

 当時の若い男たちはこんな意地悪を楽しんでいたのである。外が明るくなると年男はお正月様へお茶や雑煮を供えるため家に帰って行く。

 祖母が吉方位の方向から汲んで来た水を沸かす。囲炉裏で雑煮をつくる鍋を掛け、祖母が熾きの上にワタシを置き、その上に餅を並べて焼く。

 門松に雪が積もっている場合は、竹や松が折れると縁起が悪いとして雪を落とす。そして雑煮の具を松の枝にのせ、拍手しお辞儀をする。

 そして家族全員(8名で)雑煮をいただく。年末につくった手作り豆腐をたくさん入れた雑煮、大きな餅3〜4枚をペロリと食べたものである。

 1948〜60年の農村には多くの青年が農業に従事していた。青年団や消防団の組織が機能し、部落に活気があった。現在は専業農家も無く、年男もいない。

 門松を飾る家も少なく、昔の行事を伝える人も亡くなっている。現在の若者にも、昔の農家が行っていたお正月行事を少しでも知って頂けば幸いである(平成26年1月2日作成)。



posted by 菜園おじさん at 11:58| Comment(0) | 故郷の行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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